■ TOKYO AUTO SALON with AUTO ASIA 2002 <PART 1>

今回で第20回目を迎える東京オートサロン。
第1回目は1983年の1月、晴海の東京国際貿易センター。出展車輌125台。総来場者数は102,788名と記録されている。
又、名称を東京エキサイティング・カー・ショウと言う名でスタートを切った。
途中、開催地を東京ビッグサイトや今日の幕張メッセへと移って来た。又、名称も東京オートサロンと改名された。
当社の前身となった横浜のジャパン・ダットサン・サービスと共に第2回よりこのイベントに参加してきた。
当初は名古屋・神戸・大阪・仙台(ダイナミックカーショウ)と共に開催を展開して来たが不法改造や暴走族問題などと混同され社会の批判の的となった事もあった。
しかしこうして自動車メーカーも参加するようになり国際的にも世界に認められた。
アフターマーケットの見本市として米国のSEMA SHOWと並ぶビッグイベントとして今日を迎える事となり素晴らしい成長を遂げて来た。
ちなみに今回の出展車輌は800台を越え総来場者数も247,892名と発表された。

(1) (搬入初日1月10日) 午後より車輌の搬入となり当社もスタッフと共に3台のZcarを運び入れた。思ったほどの混雑は無かったがセキュリティのチェックは厳しかったよ。日産のブースにはGT-Rしか無く期待した350Zの搬入は無かった。

(2) (メディア公開日1月11日) 11日の午前中はメディア関係者への公開日。以前より購読している米国のターボマガジン(http://www.turbomagazine.com/)の編集長であるエヴァン・ジェフリー氏と会う事が出来た。この日は多くのツーリストと共に米国から又、ヨーロッパ・アジアの地域からも人々が来場していた。又、お世話になっているジャパン・ダットサン・サービスの代表者である大浦氏(DSCCの会長でもある)も来られた。あいにく私はこの後、唯一1台のデジカメを壊してしまい、この日の写真がまったく撮れなくなってしまった・・・。不運!!

 
(3) (一般公開日1月12日〜13日) 毎年事前の話題が多いイベントであるが今回はマツダがその代表であろう。このマツダを代表するロータリースポーツカーのコスモの再生を思わせる純白のスポーツカー。コスモ21の名を与えられているがベースはユーノスロードスターである。FRPボディで作られたこの1台、同時に展示されたクローズド・ルーフのロードスターと同じくマツダの手でデザインされたその完成度は流石に素晴らしくメーカーならではの技であった。米国マツダの友人でもあるケビン氏も来場していたが忙しそうに510と350Zのミニカーを受け取ると午後からデトロイトへと飛んで行ってしまった。ちなみに彼はLAで右ハンドルのS30フェアレディZと510を所有している。

 
(4) 会場には多くのメジャーなスポーツパーツメーカーが各社のパフォーマンスを行なっていた。残念ながら各社のコメントはとっていないがレースシーンでの実績や新商品のアピールをしていた。会場全体としては今回写真をまったく載せていないが主流であるワンボックス車(コンパクトスポーツワゴン)が60%以上の展示車を占めていた。30%位がセダンやスポーツセダン(クーペ)などで純粋な2シータースポーツカーはNSXやMRS、Zなどと共に10%ほどであったかと思う。

 
 
(5) 昨年のニスモ・フェスティバルに腰痛の為、参加出来なかったインパルの星野氏が元気な姿を見せてくれた。

 
 
(6) スバルのブースは北米向け専用車ピックアップ4ドアを展示していた。国内販売の予定はないとの事。参考出展。

(7) NISSAN&NISMOのブースはGT-Rを前面に展示。新型スカイラインは2003年に北米のINFINITIのチャンネルでG35として販売を予定している。残念ながらまったくフェアレディZの影はここでは無かった。理解に苦しむのは私だけだろうか・・・。

(8) トヨタのブースはほぼ全車がワンBOX車やスポーツワゴン車のみの展示。F1参戦予定のマシーンが唯一のスポーツ?